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オーガニック・キッチン通信 作る人の想いも一緒に「いただきます」
2016年4月号

田代農園

昔からかわらない、当たり前のこと

キャプション 笑顔が素敵な田代アヤさん

都心から車で30分。東京都府中市で化学肥料や農薬を使わずに野菜作りを20年続けている田代農園。じゃがいも、タマネギ、にんじんなど、オーガニック・キッチンのお弁当のどこかにいつも存在しています。

明治時代、府中は養蚕がとても盛んな地域でした。田代家も当時は養蚕農家だったそう。その後、乳牛を育てる酪農を生業とした時期も。

「本家から分家した江戸時代からずっと、自分たちが食べる野菜は自分の畑で作ってきました。それが当たり前でしたね。昔は農薬なんてなかったしね。酪農をやってた時は牛糞でとても良い堆肥ができたんです。それにここの土には鉄分が多く含まれていてとても良い野菜ができるんですよ。」とおっしゃるのは田代アヤさん。60年前に田代家に嫁いで来ました。

キャプション 笑顔が素敵な田代アヤさん

自分たちが食べる野菜をおすそ分け

キャプション ハウスの横にこんもりと藁の山。府中競馬場から出る馬糞と近所のお米屋さんから譲ってもらう米糠を発酵させて堆肥を作ります。昔ながらの方法です。

多めにできた野菜を近所にお裾分けしているうちに、当時化学物質アレルギーで苦しんでいた近所の方が「田代さんの野菜なら安心して食べられる」ということで評判に。そのうちオーガニックスーパーや生協などからの注文が入るようになったそう。それまでやっていた酪農から野菜作りに切り替えた20年前。日本でも環境問題や食の安全が注目されはじめた頃です。

昭和の高度経済成長期、作業の効率化と大量生産の波にのまれ、日本中の畑に化学農薬・肥料が撒かれました。土の中にいた虫や微生物は殺され、大地はどんどん痩せていったのです。危機感を最初に覚えたのは農薬を撒いた農家自身。多くの農家は出荷用の農薬まみれの野菜とは別の畑で、自分の家族が食べる野菜は昔ながらのやり方で作っていたのです。

次第に有機栽培を目指す農家が少しずつ現れましたが、一度痩せてしまった大地に虫や微生物を戻すのは大変な苦労だと多くの方が口を揃えます。

田代さんの畑が素晴らしいのはそういった化学肥料・農薬の洗礼を受けることなく、ずっと昔ながらの作り方をしている事。

「自分たち用に作ってた野菜を沢山作るようになっただけですよ。農薬なんて使ったことなかったから使わなかっただけ。」

現在、息子さんの義治さん、奥さんの房子さんの3人で毎日農作業に励んでいます。

キャプション ハウスの横にこんもりと藁の山。府中競馬場から出る馬糞と近所のお米屋さんから譲ってもらう米糠を発酵させて堆肥を作ります。昔ながらの方法です。

笑顔が作る美味しい野菜

キャプション ハウスの中で元気に育つ小松菜

田代さんの畑に伺ったこの日、アヤさんとお嫁さんの房子さんからいろいろなお話を伺いました。とっても明るくて終始笑顔のお二人。家族円満であることも野菜づくりのコツかもしれません(笑)。
「私がこの家に嫁に来たときには朝から晩まで牛の世話。生き物だから本当に休みがなくて大変だったのよ。今は息子夫婦がいてくれるから私は時々旅行したり、趣味の陶芸を楽しめる余裕ができました。」と満面の笑顔のアヤさん。
この笑顔が、オーガニック・キッチンのお弁当の美味しさにきっと繋がっていいるに違いありません。

キャプション ハウスの中で元気に育つ小松菜
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